水島 孝子 思い出のアルバム

平成17年12月23日の通夜で紹介した想い出のアルバムです。


1.少女期

子供時代は、8人兄弟の長女として、弟妹の世話をよくやきました。 絵を描くこと、本を読むことが好きで、作文が得意な、朗らかな少女だったようです。

2.高校生

日本女子大付属高校時代の修学旅行で、軽井沢に行ったときのものです。 「バスに長時間揺られて、疲れきったところ」と書いてありますが、友人と楽しくおしゃべりをしていた様子がうかがえます。

3.大学生

大学では英文科に進んだものの、科学への興味が強かったようです。この写真は「一分間の化学者」と本人が題したもので、あこがれの実験衣をまとって、化学者気分を味わっているところです。理科系の講義もうけ、それが父と知り合うきっかけになりました。

4.スキー

当時では珍しく、スキーなどのスポーツを楽しむ、活発な女子学生だったようです。この写真には「いざ出発、行きはよいよい帰りは?」と書いてありました。実際、帰りは松葉杖だったようです。

5.NHK

NHKの短波取材班時代です。海外とやりとりするため深夜勤務となり、これは深夜3時、日本の国連加盟承認の瞬間のスナップです。

6.結婚

大学時代からの恋愛をつらぬいて、まだ大学院生だった父とめでたく結婚しました。

7.新婚

いかにも新婚、といった幸せそうな2人です。

8.子供

3人の子供が生まれました。父は研究中心の生活だったため、おそらく子育ては大変だったと思います。しかし我々にはいつも笑顔をむけてくれていました。

9.アメリカ

昭和43年よりアメリカに行き、ウィスコンシンにてすごしました。休日のピクニックなど、家族でアメリカ生活を楽しみました。これ以降、毎年クリスマスには、母が本格的な七面鳥を焼いてくれるようになりました。

10.アメリカ旅行

また、ときどき数週間の休みをとり、アメリカ中を車で旅行しました。 これはグランドキャニオンです。

11.軽井沢

帰国後は名古屋に住んでいましたが、夏には親戚が軽井沢にあつまり、楽しい時をすごしました。これは水島6姉妹がそろいの服を着た時の写真です。水島の兄弟とも本当の兄弟のように仲良くしていました。

12.登山

若い頃は、父と北アルプスの縦走などもしていましたが、このころは、もっぱら家族で登山を楽しんでいました。私たちにとっては、登山よりも、母の作ってくれるおいしいお弁当が楽しみでした。また、子供が独立したあとは、母一人でも浅間山、石尊山に幾度か登っていました。

13.国内旅行

家計のやりくりが得意で、その分で、毎年、四国・九州など、家族旅行に行きました。旅行の計画手配はすべて母が自分で行い、私たちは、手作りの楽しい旅行を満喫しました。

14.家族スキー

スキーにも毎年つれていってもらいました。父の華麗なすべりと対照的に、母は雪をけおとしていく豪快なすべりをしていました。父はよく、「母の後は雪がなくなって困る」と言っておりました。

15.留学生

父の研究室の学生や留学生を、毎年自宅に招き、手料理をふるまって交流しました。これは留学生からサリーを借りて、着てみたところです。

16.油絵

絵を描くのが生涯を通して好きな母でした。これは区の展覧会で中日賞を受賞した油絵を描いているところです。この絵は遺品コーナーに展示してあります。

17.手作りの別荘

何事も手作り、軽井沢の別荘も自分で設計して立てました。毎年夏は1ヶ月あまりをここですごし、庭の手入れ、散策、パズルなどを楽しみました。この写真は別荘が完成したとき、ベランダで撮った家族写真です。母お気に入りの写真の一つです。

18.バイク

長男から50CCバイクを譲り受けたことをきっかけに、バイクが手放せなくなり、それ以降何台も乗り換えました。最初は近所で乗るだけでしたが、最後には幹線道路を1日100 km近く走ることもありました。

19.結婚30年

父が東大に移り、東京湯島に転居しました。これは結婚30周年をお祝いしたときの写真で、父といる時の幸せな母の顔が今も思い出されます。

20.内助の功

このころ父は紫綬褒章など数々の賞を受賞し、長年の内助の功が報われたと、母もうれしそうでした。 内助の功だけでなく、このころは母も、英語の赤ペン先生、命の電話相談員、FM多摩の記者、日本語指導ボランティア、東大文学部国際交流室相談員など、多方面で活躍していました。私たちを育てるためにNHKはやめてしまいましたが、空いている時間をうまく使って、積極的に外に出て行く母でした。

21.ニュージーランド

子供が独立した後、はじめての、そして残念ながら最後となってしまった夫婦だけのニュージーランド旅行の写真です。ペアルックを着て、ちょっと恥ずかしそうな父と、うれしそうな母の様子がうかがえます。

22.沖縄

孫も生まれ、皆で沖縄旅行に行ったときの写真です。球技が苦手な母でしたが、このときにはナイスシュートを連発し、我々をおどろかせてくれました。

23.タイ旅行

最愛の父を無くした後、しばらくはふさぎこんでいましたが、一人旅行をするほど元気になりました。タイでは象にのりましたが、さすがの母も象に乗ると小さく見えます。

24.中国

さらに中国、オーストラリアは一人で、長女とはイタリアへも行きました。

25.リハビリして湯島

脳出血で車椅子生活となりましたが、持ち前のがんばりで、湯島の自宅で一人で生活していました。これは正月に家族が集まったときの写真です。このように孫がどんどん増えていきましたが、孫の誕生日は必ず覚えており、記憶力は抜群でした。

26.カレンダー

週3回ディケアセンターに通い、新しい仲間と楽しく交流していました。また、ディケアセンターでは左手1本で多くの水彩画を描きました。作品の一部を遺品コーナーに展示しています。


誕生会にて

27.リンゴの唄

亡くなる当日の写真です。この日はディケアセンターの忘年会で、大好きな「リンゴの唄」を皆の前で歌ったそうです。この日の夕方亡くなったのが信じられないほど元気な姿です。突然の死は、私たちにとってはショックでしたが、苦しまずに最愛の父の元へ旅立った母は、幸せだったかもしれません。

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060114 by H.Mizushima